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おなかのヘドロ(宿便)をとりなさい

おなかのヘドロ(宿便)をとりなさい   理学博士 岡部 薫











第6章・・・・・・病気を治してくれるのは誰か


■ だれか助けてくれるのか


世の中には10年、20年と長い間いろいろな病気で悩み、苦しんでいる方がたくさんいます。病気に侵されかかっている方を加えるならば、その数はおそらく計り知れないほどの数に達することでしょう。原因がはっきりわかり、対策がきちんとしていてかならず治癒するという病にかかった人はまだ幸せかもしれません。私の場合でいうと、何度も申し上げて恐縮ですが、「アレルギー性だから治す方法がない」といわれつづけたのでした。こうした瞬間の人間の苦しみというものは実に悲しく、腹立たしく、何とも表現できぬ種類のものです。しかし、こうした“治らぬ病”に苦しんでいる人間がどれだけいるものでしょうか。

でっかい白亜のビルとかした病院やとても高価そうな医療設備を整えた近代装備ぶりを見るにつけ、「たったこれっぽちのことが治せないのか」と憤慨を感じた人間が何万、何千人といるものと思います。それに対して現代の外科治療法に目を向けてみますと、心臓をはじめとして、肝臓、腎臓などの移植手術も成功しており、その技術は神業とも思えるほど偉大な発展を遂げております。

しかし、医療のすべてがそのように発展進歩したわけではありません。内科医療のある部分では、なぜか依然として対症療法に重点を置いているようで、一時的に幹部を鎮静させるだけの域を出ていないように思われます。私はそれに長年、矛盾を感じています。ご存じのとおり、類人猿から進化した人間は火を使うことをはじめとして、農作、言語、学問を習得して地球上の生物を征服し、多くの科学を生んで名実ともに生物の王者となりました。そして、月世界までも征服しようとしている人類が、どうしたものか、押し寄せる病気に痛めつけられております。それは、なぜなのでしょうか。月世界をも征服しようとしている人類がなぜ病気には勝てないのか、私には不思議でなりません。

なぜ人類は病気に勝てないのかと考えてみますと、それは対症薬というものが発展しすぎたために幹部だけを鎮静して、根治療法というものがおろそかにされているからなのではないかと思考するのです。たとえばぜんそく患者に対する治療でいえば、対症薬であるアドレナリン、エフェドイリンを考え、また、高血圧患者に対しては降下剤のメトプロミンを、鎮静剤としてはバルビタールを投薬します。そのほかにも糖尿病の患者に対してはインシュリンを与えるという具合に、数多くの対症薬が開発され、投薬されています。それらの薬を与えられると、患者はたとえ一時的にせよ苦痛から解放されるので医師に頼ることになります。患者を診るという第一線の立場にある医師もまた、そうした便利な薬があるので根治薬というものをあえて研究することもないのです。

高血圧に苦しむ患者は一生涯、その薬から離れることはできないとされ、持病だとあきらめざるをえない状態に追い込まれていくのです。患者は医師に頼り、医師は「脳溢血になるよりはマシだろう」と投薬をつづけます。患者にもむろん責任はありますが、こうした繰り返しが行われているということは、医療に従事している者の全員の責任でありましょう。広義にいえば、現代の医療そのものの責任だと思えるのです。

■ 対症よりも根治を


ノーベル賞を受賞した学者でも、その研究は対症薬であって、根治薬ではないのです。ピルケーという偉い学者は、根治できないぜんそくやじんましんのアレルギー説を提唱して世界中をアッといわせました。現在いたるところでアレルギーという言葉が使われていますが、そのアレルギーという語源を調べてみますと、ギリシャ語で「不可思議な現象」という意味です。そんなことでなぜ世界中がアッと驚くのか、私にはそれこそ不可思議でなりません。またアレルギーの研究では世界的といわれている石垣公成博士は「ぜんそくの薬はブロムリンDである」と発表して医学界を騒然とさせましたが、その薬でもぜんそく患者やアレルギー患者を根治させるにはいたらなかったのです。

このように現代の治療法というのは対応薬一辺倒です。そうした一時抑えの繰り返しはかえって病気を慢性化させて行くばかりではないでしょうか。高血圧患者は、治ることのない薬を一生のみつづけ、ぜんそく患者は発作の恐怖に絶えずおびえながら鎮静剤をだきつづけていかなければなりません。

そのほか冷え性、便秘症、頭痛、胃弱、肩こり、湿疹、鼻炎、夜尿症、アレルギー、アトピー、幽門狭窄などは病気の中の大半を占めていながら「自律神経の失調」または「遺伝体質」として簡単に片づけられ、放置されているように私には思えるのです。そして患者のほうも持病だとあきらめて、対症療法にすがっているのが現在の治療の一面なのです。これで良いのでしょうか。けっして良いはずがありません。その場しのぎの治療ではなく、病気は根本から治して初めて治った、といえるのです。

■ 対症療法の薬に副作用は…


膝の関節に水がたまって病院へ行きますと、水を抜き取ってくれるだけで治療は終わりです。歩けるようになったからいい、というのでしょうが、間接にたまった水は無用な水ではありません。血液と同じように、人体になくてはならない体液なのです。その水が間接にたまるということは原因があるからです。その原因をこそ探るべきではないでしょうか。

自律神経群は昼夜の差別なく私たちの体内を監督しています。そして、炎症の進行を防止できないと予測したときは、自律神経は貴重な体液の流れを止めて痛みの信号を発し、その個所の運動停止命令を出しているのです。たとえば医者のいない動物たちの世界を眺めてみますと、犬は足を痛めると三本足で歩いています。もう足がだめになったのかと思うと、いつのまにか犬はまた4本足で歩いています。病気を治そうとする犬の本能は、炎症を起こした足の運動停止命令をだしているわけです。そして自然に痛む足を治してしまいます。人間は薬によって痛みの信号をうち消そうとします。膝にたまった水を抜き取るということは、痛みの信号を断ち切るということにもなるのです。

こうした警告無視の一時的な鎮静療法が正当なものとして日常茶飯に行われております。膝に水がたまると抜く、またそこへ水がたまると抜く。その繰り返しではありませんか。ちょうど電源ヒューズがたびたび断線するというのに、ただヒューズを取り替えるだけの作業をしているのと同じです。断線の原因を追究しようとはしません。ヒューズを交換するだけで事たれりとするのは現代医学の最先端を行く人たちの考えだとはとても思えないのですが、いかがなものでしょうか。

また、リウマチの例をとってみましても、「リウマチとは神経痛、関節炎、痛風などを代表した病名である」と文献には記されております。リウマチがそれらを代表した病名であるならば、その疾患の原因は同じであるということになります。しかし、現状ではリウマチと関節炎の治療法は別個の病気として取り扱われております。なぜでしょうか。ここにも対症療法優先の医療を垣間みる思いがするのです。

わたしは、対症薬を全面的に否定するものではありません。血圧硬化剤、外科手術には欠かすことのできない麻酔薬などがもし開発されていなかったならば、多くの人が死期を早めていったと思います。そのようなわけで私もぜんそくで苦しんでいるとき、もしあの塩酸エフェドリンがなかったら、現在の私の健康法も存在しなかったかもしれません。しかし、同時にまた、私は薬の持つ副作用の恐ろしさというものもよく知っております。「多少の副作用は仕方がないよ」という医師がおりますが、「多少」は「重大」につながっていくのです。腎臓の炎症を鎮静するための薬は、ほかのすべての器官に衝撃を与え、それが度重なれば、器官が崩壊してしまう強烈なものであることを、一般の病人は知っているのでしょうか。また、知らされているのでしょうか。私は現代の対症療法というものに大きな疑問を持っている者なのです。

■ 薬づけでいいのか…


病人は医師を頼りにします。医師が病気を治してくれる救いの神であるとして医師の指示を忠実に守ります。与えられた薬をのんでいれば病気は治せると信じているからです。

ほんとうに病人の立場になって根治療法に献身的に働いていらっしゃる医師はたくさんおられます。私も何人かの方にお目にかかり、頭の下がる思いでお話をうかがったこともございました。だが同時にどの医師も対症療法を重視しがちで、私が、これまでのささやかな研究の中で得た自律神経の治療法を説く方は皆無であったことも事実です。私の知るかぎりでは、どの医師も対症療法のみに走り、自律神経の治療法は放棄されております。

A・F・ハスクリーは、「ナトリウムイオン とカリウムイオンの働きにより神経の伝達作用が行われている」と神経とイオンの重量性を説いていますが、それほど重要な役割を持っているイオンが欠乏したときの対策に論及した発表を、不幸にして、私は拝見したことがありません。ある高名な医学者は、「自律神経に欠乏したイオンを補充することができるならば、ほとんどの病気は治るだろう。だが、それは不可能である」といっておりました。この言葉を裏返していうならば、「現代医学ではほとんどの病気は治療不可能」ということになるのではないでしょうか…。根治療法が開発されていないのですから、あるいはこれが全医学界を代表した言葉かもしれません。対症薬が激増して、いつのまにか薬づけの医学になってしまったのではないでしょうか。

■ それでも医師に頼るしかない


万に1つ、それが荒廃した医療であっても、病気に侵された人たちは医師の助けを求めるよりほかに道はありません。大病院で有名な専門医に診てもらえば治ると思っています。そして入院して全快した患者の大部分は外科患者です。私にいわせるならば、内科の患者が全快したというならばそれは入院という環境によって生活の煩わしさから解放されて、自律神経が安らぎ、自分の体が病気を克服したものであって、けっして病院の薬のおかげで全快したというのではないのです。

新薬が開発されるとき厚生省は、「5ヶ所の国立病院で各30例の効果があったという臨床報告書の添付」を義務づけています。これは一見すばらしいことのように思えますが、臨床報告の陰には多くの患者がモルモット代わりにされているといううわさも聞きます。また、その薬に効果があるということは、その患部だけに効くものであって、副作用が秘められているということを意味しはしないでしょうか。

■ 軽い症状を見すごしていないか


病気というものの経過を調べてみますと、普通一般に軽症と重症の2つに分けられます。軽症に類する症状としては、「疲れる」「食欲がない」「どことなく気分がすぐれない」だとか、貧血、しびれ、肩こり、頭痛などたくさんあります。医師に訴えても栄養剤の注射を打ってもらえるくらいで、治療の決め手のない病気です。そして重症に類する病気というのは、決め手のない病気が慢性化してきた胃潰瘍、十二指腸潰瘍、ガン、糖尿病、ぜんそく、高血圧、腎臓病などであり、軽症から重症へと根元を刈り取ってやることこそ真の医療だと思うのです。

言い換えるならば、決め手のない症状は重症だということであり、第2、第3とやってくる病気の警告であるということを心すべきなのです。

現代医療はバリウム、X線、血液や排泄物の検査などで異常が確認されなければ、患者がいくら症状を訴えても取り上げてくれないケースが多いのです。「それは自律神経の失調ですよ」とか、「体質ですね」と診断されることがありますが、それは「治療法がない」ということになるのです。以上、私の意見を総括してみますと、次のようになります。

T、人間の病気は決め手のない症状から始まり、慢性化して病気となる。
U、軽症に類する病気は誰にでもあり、それらの病気のことを一般に自律神経失調症という。
V、現代医学には根治療法および自律神経の治療法というものがない。
W、薬づけ医学となったのは対症療法だけにとらわれているからである。

■ 最高の名医はあなた自身


私の兄は病院で鼻から胃へゴム管を挿入して、そこから栄養剤を注入されておりました。食欲がなかったからです。兄はゴム管を鼻から入れられるたびに、「腹が苦しい。ゴム管を外してくれ」と哀願しつづけていました。それからまもなく、兄は腹膜破裂で病院のベッドの上で死んだのです。兄の死はほかにも原因があったでしょうが、患者がしきりに苦痛を訴えたのは、それだけの理由があったからではないでしょうか。腹膜破裂にまで追い込まれて死んだ兄が哀れでなりません。

私は自己の体験をもとに、自分の体で実験を重ね、研究してきたゼットイオン健康法に自信と誇りをもっております。そこでみなさんにも考えてほしいのです。健康の原点である胃腸を守るために腸の負担を少しでも軽くするため、時々腸内容物を排除してやることを。そして大昔から高く評価されている温泉療法というものを家庭の健康法の中に組み入れてみてください。ただし、ゼットイオン健康法はすばらしい健康法ですが、何度も申し上げているように、糖尿病が、ぜんそくが、高血圧や心身症が治るといっているのではありません。病気を克服するのは医師や薬ではなくあなた自身の努力なのです。

ただ病院へ行って注射をしてもらい、薬をもらい、点滴を受けるという、簡単で労力の要らない方法では病気は克服できるものではありません。棚からぼた餅式に天の恵みが降ってくるのではありません。もっと凄絶で、必死で、すさまじい生への執着なのだと思います。健康な人もいつまでも健康でいられるわけではありません。いつかは病に侵されます。それが人の世に生まれた宿命です。そのときには果敢に病に挑戦してほしいのです。病を知り、研究し、他人に任せるだけではなく、たとえ素人でも知ろうと努力すること、それが大切なのだと思います。

私は、病気に苦しんでいる方を1人でも多く救うことを悲願としております。それは北国の転地療養先で星と語り合ったときの約束だったのです。あなたの前途には茜色の光が待ち受けているのです。あなたの病気を治すのはあなた自身なのです。